民間信仰

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飯綱権現(いづなごんげん)

飯綱権現(いづなごんげん)

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飯縄権現
【別名】
飯縄権現(いいづなごんげん)、飯綱権現(いづなごんげん)、飯縄明神(いづなみょうじん)、飯縄大明神(いづなだいみょうじん)

【ご神徳】
戦勝の神、山岳の神、除災開運、災厄消除、招福万来

【伝承地】
長野県飯縄山、東京都高尾山

【鎮座】
飯縄神社(長野県長野市)(長野県長野市)、高尾山薬王院(東京都八王子市)、飯縄寺(千葉県いすみ市)など

【解説】
飯綱山より信仰が始まった飯縄権現。
神仏習合などの影響を受けながらも独自の信仰を守ってきました。

中でも管狐を使う飯綱法は多くの武士や忍者を魅了し信仰を集めました。

飯綱山と信仰の始まり

飯綱山は270年頃応神天皇の御代に山頂に天津神の大戸道尊が降臨。
以降、飯綱大明神として深く信仰されました。

飯綱大明神の本地垂迹を大日如来とされ、848年には学問行者が飯縄山に入り、大日如来の尊容を拝したという伝説が残っています。

また、飯綱山は山頂より食べられる飯砂がとれました。
参籠の行者たちは、これを採って食した事から飯砂山となり転じて飯綱山となりました。
これが元となり保食神(皇足穂命)の霊徳として、明治6年長野県庁より皇足穂命神社の称号が与えられました。

飯縄権現と天狗

飯綱権現に関して現存する最も古い資料(室町時代)の隠山顕光寺流記(并序)にはこのような文章が残っています。

戸隠山顕光寺流記(并序)

吾は是れ、日本第三の天狗なり。
願わくは此の山の傍らに侍し、
権現の慈風に当たりて
三熱の苦を脱するを得ん。
須らく仁祠の玉台に列すべし。
当山の鎮守と為らん。

この様に飯綱権現は天狗としても信仰され、衆生救済のご利益を施す力を持ち、古来より神通力をもつとされています。
このようなことから多くの天狗伝説や天狗信仰があり、神格化されています。

飯縄権現と管狐

管狐は憑き物の一種で竹筒の中に入ってしまうほどの大きさしか無い妖狐です。
この管狐は大きさに見合わず強大な霊能力を持ち、変幻出没自在で、予言をなし、人になつき、飼い主には非常な利益をもたらす一方で人を憑依し病をもたらすことが有ります。

普段は人目に触れずにほっておけば75匹にまで増えるとされています。

この管狐を操る呪術こそ「飯綱法」なのです。

飯綱山は、初め元々は飯綱大明神と称し、天皇足穂命が降臨した所として崇められていました。
しかし、天福元年(1233年)水内郡萩野城主、伊藤兵部太夫忠縄が山頂に飯綱大権現を祀り修行を行いました。

太夫忠縄の子である次郎太夫盛縄も飯綱山で修行を行ったところ飯縄大権現より「飯縄法」を授かりました。
「飯綱法」を授かった次郎太夫盛縄は千日太夫と名前を変え以後代々千日太夫の名前は襲名され「飯縄法」も引き継がれています。

「飯綱法」を使うものは「飯綱使い」と呼ばれ竹筒に管狐を潜ませて呪術を行うのです。

飯縄権現と武家

飯縄権現は戦勝の神として名だたる武将たちの信仰を集めました。
足利義満、細川勝元、上杉謙信、武田信玄、徳川家などが手厚く信仰しました。

中でも上杉謙信は自分の兜の前立に飯縄権現を飾ったことで有名です。
また、武田信玄は、飯縄大権現の小像を懐中して守護神としたと伝えられています。

戦国時代の世に武将の間で、優れた妖術として熱い信仰を集め「飯縄法」という仏教から見れば邪法とされる管狐を使った妖術も伝承されています。

飯縄使いと忍者

飯綱使いが管狐を使う飯綱法は忍術としても用いられました。

室町時代に移住した濃望月氏により飯綱法は密かに甲賀へと伝えられたのです。
江戸時代には秋葉信仰などの影響で飯綱権現の信仰は防火の神となり衰退をみせるのですが、
飯綱使いの使う飯綱法は忍術に取り込まれていったことでしょう。

【挿絵解説】

飯綱権現が修験道において信仰され、造形としては天狗として表されるため「烏天狗を模した仮面を付けた修験者」として描いてみました。
また、管狐に関連づけて「刀の鞘を、竹を加工したデザイン」にも。

【参考資料】
(文章参考)
戸隠山顕光寺流記、飯縄山略縁起
(挿絵参考)
戸隠山顕光寺流記、飯縄山略縁起