民間信仰

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秋葉権現(あきはごんげん)

秋葉権現(あきはごんげん)

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秋葉権現
【別名】

秋葉三尺坊大権現

【ご神徳】

火の神様として防災開運、家内安全等。また、戦勝祈願。

【伝承地】
静岡県、愛知県など全国各地に点在

【継続】
不明

【鎮座】
秋葉山圓通寺(名古屋市熱田区)、秋葉山本宮秋葉神社(浜松市天竜区)、可睡斎(静岡県袋井市)など
【解説】

天狗についての共通知識/天狗は男だけではない?

さて、天狗といえば現在の鼻高天狗のように男性ばかりと思っている方々も
多いかもしれない。

しかしながら、今昔物語集が描かれた時代には女性の天狗がいても珍しくなかったようで、現に女天狗が登場するエピソードが描かれている。

そのエピソードは女に乗り移り、色仕掛けで誘惑し僧侶の修行を邪魔する――といったものだった。「空を飛び、翼を折られてしまった」ということも描かれていたため、その姿はトビか烏ではないかと推測できる。
同様に、堂内にそっと忍び込み箱を盗み僧侶が追いかけたところ木の上にさっと上ってしまう半鳥半人の尼がいた、というエピソードも今昔物語集に描かれており、これについてもエピソード上で「尼天狗」と語られており、そのさっと木の上に上る姿には烏天狗の姿が窺える。

余談だが、ほかにもいくつかの天狗にまつわる説話があるのだが、そのどれもが天狗は羽をはやした物の怪であり、仏教を妨害する存在であるということになっている。

火の神様として…

さて、火の神様として有名なものといえば火ノ迦具土神があげられます。
しかしながら、明治以前には火の神様=秋葉権現でもあったのです。実際、江戸時代には秋葉権現が火難除けの神様として広く知れ渡り、全国各地に秋葉講(*1)が結成され、秋葉権現のある遠州にお参りすることが盛んとなり、江戸時代中期には時の天皇の勅願所ともなりました。

はてさて、ではなぜ「明治以前」と敢えて明記したかといいますと、明治時代以降、神仏分離政策が行われたことが原因であると言われています。
かつては秋葉山には秋葉大権現が主祭神であり、神仏習合(*2)の象徴ともいわれていましたが、神仏分離に伴い秋葉山は火ノ迦具土神が主祭神となり、秋葉大権現は可睡斎に遷座し、現在もそちらにて祀られている。

秋葉権現が由来となったもの

秋葉権現が由来となった秋葉神社は全国に作られましたが、「秋葉」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。
そう。世界有数の電気街である秋葉原である。
なお、秋葉神社は「あきば」と読み、秋葉原は「あきは」と読む。なぜこのようなことになったかというと、この地に鉄道がとおった際、駅名を「あきはのはら」としたためというのが定説である。のちに駅名は「あきはばら」となり、略称をアキバとしたのであった。

*1 江戸時代の庶民にとっては、遠州までの旅費は経済的負担が大きかったため、宗教的な互助組織を結成し、その資金を積み立てて、代表者を選出し、遠州にある秋葉山へ参詣すること。全盛期には全国に三万ほどあったといわれる。
*2 神と仏とを調和させ、同一とする思想のこと。

【挿絵解説】
大翼を広げ火の粉を打ち払う、雄々しくも畏れを感じさせる物の怪らしさをイメージしました。
【参考資料】
(文章参考)今昔物語集、大辞泉、森町ホームページ、可睡斎ホームページなど
(挿絵参考)