民間信仰

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温羅(うら・おんら)

温羅(うら・おんら)

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温羅挿絵
【別名】
鬼神、吉備冠者、艮御崎神、禍叉温羅

【ご神徳】
占い

【伝承地】
岡山県岡山市、倉敷市、津山市

【継続】
王丹(弟)

【鎮座】
吉備津彦神社(温羅神社)、鯉喰神社、艮御崎神社

【解説】

吉備を治めていた鬼王

岡山に伝わる「温羅伝説」に登場する鬼王が、この温羅です。
吉備を治めていた王で、大和から派遣された四道将軍のひとり、吉備津彦命に倒されました。

「温羅伝説」では、身長は四メートル、目はらんらんと輝き、髭は生え放題だったと伝えられています。どんな王だったかと言えば、女や子供はさらい、自分に逆らうものは釜で茹で、城の近くを行く船を沈めたなどと好き勝手していました。また、吉備津彦命から逃れる時には、鳥や魚に化けるわざを見せ、首だけになっても日夜声をあげ続けたとされ、まさに鬼のようです。
だからこそ吉備の人民が苦しんでいると大和朝廷から吉備津彦命が派遣され、討伐されたのですが、果たして本当に悪者だったのでしょうか。

渡来人としての温羅

温羅と吉備津彦命が激しい戦いをしている際に、傷を追い温羅は川の水を血で染めたという話があります。
この話に関連して、実際に古代吉備の川は赤かったという説があります。
古代吉備では砂鉄がとれることから、鉄生産が盛んにおこなわれ、その鉄分がこの血吸川に流れ込み、川の水を赤く染めていたかもしれないという説です。
後の時代に備前で日本刀の生産がさかんに行われたのも、吉備でたくさんの砂鉄がとれるからでした。

温羅は物語の中でも「私は百済の王である」と語ります。
渡来人は日本に様々な文化をもたらしました。温羅もまた、その渡来人の1人ではないかと考えられています。
吉備国に鉄生産の技術を伝えてくれたことから、吉備津彦神社内にある温羅神社では、文化に利益をもたらしてくれる温羅の和魂を祀っています。

「温羅伝説」が伝えること

「温羅伝説」は吉備津彦命が勝利して終わります。つまり、勝者である大和朝廷側から見た話であり、吉備を平定したという歴史を物語ったものです。
温羅は大和朝廷からの侵略を受け、それに負けてしまった敗者でした。
「温羅伝説」を歴史的な出来事としてとらえ、倭人伝と共に考察し、邪馬台国吉備説に結び付ける学者もいるようです(ゆえに大和朝廷が狗奴国)。
この物語はただの鬼退治の物語ではなく、古代吉備と大和朝廷との関係や、当時の吉備の文化を伝える物語です。鉄資源を求める大和朝廷側の視点と、温羅側の視点で見てみると、また違った古代日本の姿を見れるのではないでしょうか。

なお、現在は温羅の首は吉備津神社に、体は艮御崎神社にあると伝えられています。

吉備津彦命に首をはねられ、野ざらしにされた温羅はいつまでも声を上げ続けました。吉備津神社の御釜殿の下に埋めても声を上げ続ました。
首になっても声を上げて人々を困らせていたところ、吉備津彦命の夢で「私の妻に御釜殿の火を炊かせよ。そうすれば幸せが訪れる時は豊かに鳴り響き、災いがある時は荒々しく鳴るだろう」と温羅は告げました。吉備津神社に伝わる鳴釜神事の起こりです。
今でも、吉備津神社の方で予約をすれば、鳴釜神事を行ってくれるそうです。その音が幸いを表すものか、災いを表すものかは、聞く人の判断に委ねられるというちょっと変わった占いです。

■この神様に関連する主な神話

【挿絵解説】
雉になったり鯉になって逃げた、と言う話があるのでキンケイ(キジ科の鳥)をイメージした色合いにしてみました。あと、「百済の王」のイメージから中華風の鎧姿です。とにかく派手にしました

顔の模様は、うらじゃ振興会さんの「温羅化粧」から来てます
【参考資料】
(文章参考)古事記、日本書紀、「キビツ彦の温羅退治」(吉備津神社)

      (挿絵参考)日本書紀、吉備津神社文書. 正篇、

阿村礼子作・夏目尚吾絵『吉備津彦と温羅』